「知育」の名の下に、知識というガラクタで純粋な子どもをruinしないこと

子育て

こどもは生まれながらに、その子だけの喜びを持っている

 

何にも汚されていない、その子だけの喜び、個性、純粋な魂を持っている

 

夕日を見て「わぁ」と感動する気持ち

石ころをつまみあげて溝に落とす楽しみ

 

その、何にも汚されていない純粋な喜び楽しみを、「これは黄色よ、これは赤よ、これは4個よ」と知育の名のもとに私は知識というガラクタを押し付けてしまいがち

 

マドモアゼル愛先生の本の中に

「親が自分の人生に満足し、楽しみ、喜んでいたなら、自分が自分らしく生きるよろこびに人生の価値を置くはずで、喜びに直結しない知識に価値を置くことはありえません」

と書いてあった。

 

知識、それは、不安を抱えた親が子どもの安全を勝手に想った末におしつけがちなもの。

(子どもが将来)わずか数十万円の生活費を得ることを目的に、その将来のために、こどもの純粋な喜びをないがしろにして押し付ける、「知識」というもの。

 

そんなもののために、人生で一番大事な、その子が本来感じるその子だけの楽しさ、喜び、そういうものを無視していないだろうか。

 

「これは黄色よ、これはうさぎよ」そんな”知識”ばかりを押し付けて、その子の目に写っているものがなにか、私は本当に見ているだろうか。

 

知育の名のもとに、その子の純粋性をruinしていないだろうか。

 

気をつけよう

 

いっちばん大事なのは、息子が感じる純粋な喜び楽しみなのだから

 

フラッシュカードを買おうか迷っているエセ教育ママゴンの私の反省文でした

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