こんにちは!
モンテッソーリ教育では、「叱る」「褒める」は必要なくて、「認める」が大切だと言われます。
「叱る」が必要無いっていうのはなんとなく分かるんだけど、「褒める」と「認める」の違いがいまいちしっかりと分かっていなかった私。
ですが、やっと今日その意味がだいぶ理解できたので、自分のためのメモとして、記事にしておきます!
「褒める」のは外発的動機を生んでしまう
褒めたり、さらには褒めちぎったりするのがむしろ悪影響を起こしてしまう可能性がある理由は、
「褒められるから、○○○しよう」という外発的動機を生んでしまうからです。
人から褒められるから、人から叱られるから、○○する、○○しない、では、他者からの評価に影響を受けて自分の行動を選択してしまうことになります。
人が心からやる気になるとき、そこには内発的動機がある。
でも、本当に大事なことは、外発的動機で行動を起こすことではありません。
人が心からやる気になったり、心から楽しいと感じたりするとき、それは他者から言われたからやるときでなく、自分でやりたいから、それをやるときです。
人の能力が伸びるときも同じで、自分の内発的動機によって、自ら進んでやりたくて物事に取り組むとき、「好きこそものの上手なれ」で能力が伸びるんだと思います。
無駄に口出しをするよりも見守るほうが、人はやりたいようにやれる
子供が内発的動機でなにかに取り組んでいるとき、無駄に褒めたり、それに対してご褒美を与えたりすると、子供の内発的動機に水を差してしまう可能性があるそうです。
横から口を出す(褒める・絶賛する)ことで、子供が白けてしまうのです。
ほっておいてくれれば、そっと見守っていてくれれば、自らの内発的動機によってモクモクと楽しく夢中で取り組めていたのに、褒められたり、「すごいね~!」と言ってお小遣いや物を買い与えられたりすると、ただただ好きで取り組んでいた物事の(その子の中での)価値が下がってしまうのです。
「内発的動機に水を差さない」というのは、大人に対しても言える
たとえば、整理整頓が苦手な夫がふと自ら思い立って掃除や断捨離を始めたとき、「お!断捨離してるの?いいね!」なんてコメントはしない。笑
そっとほおっておく。
人は、自分がやりたくてやっているときに楽しさや充実感を感じる。
それを、横槍を入れて絶賛したりすると、しらけた気持ちになったり、情熱の火が弱まったりしてしまう。
だから、ほおっておく、見守る、口出ししない、のが一番。
「褒める」ことは相手をコントロールすることにもつながる
子供を褒めるって難しくて、そこに自分の「もっと上手になってくれたらいいな」「もっと夢中になってくれたらいいな」という希望や欲が入ってしまうと、相手を自分の思う方向へ動かしたくて褒める、という手段を使ってしまっている場合がある。
でも、子供の人生は子供のものであり、それを親がコントロールしようというのは子供へのリスペクトに欠けるので、難しい「褒める」よりも「認める」のほうが良さそう。
「認める」とは、実況中継をすること
「認める」ってどういうことかと言うと、「あなたがやっていること、ちゃんと見ているよ、気づいているよ」と伝えるということだ。
絵を書いて、それを見せてくれたら、「おぉ、ここにはピンク色を塗ったんだね♪♪」とか、そういう事実を、「見たよ」と伝えること。
「上手だね!スゴイ!才能あるんじゃない?」と褒めちぎるよりも、「○○したんだね^^」と、ただただシンプルに現状を認める。
また、結果じゃなくて、その子が努力した過程を、認める。
「1位だったんだ!!すごい!!」じゃなくて、「いっぱい練習してたもんね^^ 頑張っていた姿を、ママは見ていたよ」と、努力を認める。
結果や才能よりも、過程や努力を認めることで、「努力することが大事なんだ。努力すれば、もっともっと上手になれるし、もっともっと先に行けるかもしれない(ワクワク)」と、未来が開けていくイメージ、自分次第でこの先いくらでも可能性が広がるんだという視点を持てる子になるらしい。
まとめ
●子供の内発的動機に水を差さない。
●褒めることで、こちらの思惑・希望・欲望で相手をコントロールしようとしてしまう恐れがある。
●外発的動機「褒められるから~する」という思考回路よりも自らの気持ち・考えで動ける子になるために、無駄に褒めたり讃えたりしない。
●努力やプロセスをたくさん認めることで、「努力が大事なんだ!現状がどうあれ、諦めずに努力すれば、未来はいくらでも切り開いていける。」という未来思考の心を育んでいける
「褒める」よりも、「見守る」・そして「認める」の大事さが理解できました\(^o^)/