定期的に夫婦仲があやしくなる我が家。
そもそもの原因はかなりの割合で私。
一度過去に超~好きだった同棲相手に振られた私(愛は無常であり、すぐに壊れる)。
あの過ちを二度と繰り返さないための自分のための覚書。
夫婦はそもそも他人である
血のつながりのある子どもであれば許せても、血のつながりのない配偶者のことは許せない。
許せるの閾値が、こどもにくらべて配偶者に対して下がるのは当然!
他人であることを忘れ、境界線を飛び越えて「要求」することが増えると、そりゃあ配偶者は嫌になる。
他人であることに重きを置かずに、「私を分かって!私は私らしくいたい!だから言いたいことは我慢せずに全部言う!家族なんだから全て分かり合いたい!」とぶつけると、家族の前に他人である配偶者は「この人、圧がすごいな・・・」と疲弊する。
他人なのだから、礼儀、思いやり、配慮、ときには遠慮だって大事。
男性は解決脳。ゴールの無い会話はしたくない。
例えば、私は世界情勢や世界の政治歴史や戦争の話なんかが好き(戦争はもちろん反対)。
でも夫はそこまではたぶん興味持ってない。
夫に「今起こってる戦争ってさ、うんぬんかんぬん」と話しかけても、つれない返事。
私は、なんだかガッカリする、というパターン。
そして夫に「なぜ戦争について会話してくれないの?ただとりとめもなく会話したいだけなんだけど」と聞いてみると、「だって、わからないじゃん、どうなるかなんて」と。
夫いわく、戦争のゆくえなど、会話したところで未来が予測できるはずもなく、そのような会話には乗り気になれないのだそう。
まぁ、うちの旦那が世界について私ほど興味がないだけなのかもしれないが、会話したところで解決に至らない話題(ゴールの無い話題)は、あまり話す気が起こらないらしい。
男性脳のゆえんかもしれない。
夫は大のSF好き、ウィンタースポーツ好きだが、その手の話題に私が興味ないことを知っているので、そういう話は振ってこない。
SFの話されても、私だってつれなく「ふうん」と言って終わりだ。
自分の興味のある話は聞いてほしい、でも相手の興味の分野の話は聞く気ない、って、私やばいな。
興味のない話題はふらない、はお互い様。
そして男性は解決できない話題(ゴールのない雑談)は好きではない。
私が実親について愚痴っても、あまり聴いてくれないのもこれと同じ理由らしい。
「いつもパンナはそのこと愚痴るけど、解決しないじゃん。自分がおとなになればいいだけじゃん、もう40歳でしょ。いつまで幼稚でいるんだよ」と。
そのとおりでございます・・・
話を聴くのは気力と体力がいる。疲れているときに妻の「ゴールの無い話」を聴くのは苦行である
こないだ、実母といさかいがあり、金曜の夜に「今夜なら話聴いてくれるかな。夫に慰めてもらいたい!気持ちを聴いてほしい!」と思って、夫に話してみたらつれなくされて傷ついた。
「パンナの親がこどもっぽい、少し幼稚、それだけの話でしょ。でも完全な親はいないよ。もう40歳なんだから、大人として、パンナが折れてあげれば。それに俺だって40歳の子どもから過去のこと愚痴ぐち言われたら嫌だよ」と言われて終わりだった(正論)。
後日、振り返って思ったのは、金曜の夜って、何も考えずにボーッとしたいぐらい疲れているものだ。
そのときに、男性脳にとって苦行の「ゴールのない愚痴を妻からダラダラ聴かされる。妻は幼稚にすねている」って、面倒くさいし「こいつ幼稚だな」ってウンザリされても当たり前だ。
ココナラの「話聞きます」系の電話カウンセリングは、最低料金が100円(分)だ。
話を聴くって、対価をもらわないとやってられないぐらい、体力気力を使う、とくにマイナスな話題は。
私だって実母の弱音や愚痴を聞くのはかなり苦痛。
夫は妻の話を聴くべき!!というのは暴論かもしれない。
体力気力の必要なことを要求しているのだと自覚して、思いやりや配慮が大事。
完璧な配偶者などこの世にいない。じゃあ私はどのくらい夫にとって完璧なのか?
夫に、「もっと私を愛し、癒やし、包み込んでほしい、思いやってほしい」と願ってしまう。
でもそれは、よくできた実の親にしかできない行為に等しい。
過去に、私を一番、一番、大事にしてくれた元カレがいた。
とても長い年数付き合った。
幼稚な”どメンヘラ”の私を、まるで娘のように、保護者のように、いつも大切に庇護してくれた。
あんなに私を愛してくれた人間はあとにも先にもこの世にいない。
でも私は、彼が自分の保護者に思えて、男性だとは思えなくなってしまった。
パートナーは、親ではないし、親の役割をしてもらうともはやパートナーではいられなくなるのである(恋愛感情の消滅)。
夫にたまにはキュンとしたい、という願いと、「娘のように愛し保護してほしい」というACの願いは、両立しないのである。
それに、何もかも許されると図に乗って相手を大切にしなくなってしまうのが人間(私だけ?)。
あまりに器の広すぎる人に庇護的に愛されると、これまた相手への思いやりや恋心が消滅するのである・・・・
少し冷たいくらい、愛が足りないくらいのほうが、私は恋や愛が冷めない。
そもそも、あれも完璧、これも完璧、それも完璧、そんな人はこの世にいない。
イケメンで、思いやりがあって、浮気をせず、高給取りで、タバコを吸わず、家事ができ、清潔感があり、子どもに優しく、どんな話題にも食いついてきてくれる、世界情勢に詳しく、傾聴力のある体の引き締まった男性・・・そんな人この世にはいないし、いたらアリアナ・グランデと結婚するだろう。
だいたい不完全極まりない私を許容してくれてる旦那の願いはどうなのか?
旦那だって橋本環奈と結婚したいに決まっている。
会社にだって私よりよっぽど魅力的な女性は何人もいるだろう。
夫だって私を(とてもとてもとても)許してくれているのだ。
女は共感によって、男は沈黙によって癒やされる
男と女は同じ人間だが、犬と猫ぐらい違う生き物である。
女は共感によって癒やされ力を得るが、男は沈黙や集中によって癒やされ力を得るのである。
男が沈黙しているときは、くつろいでいるときなので、「なんでしゃべってくれないんだろ」とか不安になる必要はなさそうだ。
「共感して!」と何度も強制すると、男はそれをしたくなくなる
そもそも「共感してって言ってるじゃん!聴いて「そうだね」って言ってくれるだけでいいの!」と強制すると、強制されればされるほどそれをしたくなくなるのが人間。
共感をしつこく強制していないだろうか・・・私はしていた。
共感してくれないとすねていた。
夫はますます共感したくなくなっただろう。
まとめ
家族のために一生懸命働いてくれている、それがそもそも彼の愛情表現である。
愛されているではないか。
配偶者は血の繋がりのない他人である。
「私を受け止めて!!!」とタックルするのは圧が強すぎるし迷惑である。
思いやりと配慮と感謝と「共同生活している赤の他人」であることを忘れずに。
私を宇宙のように、聖母マリアのように、菩薩のように、理想的な母のように包み込めるのは、私自身だけ。