母の愛は条件付きだった

独り言日記

ここ数日で気づいたこと。

私の母の愛は、条件つきの愛だった。

 

元気に明るく電話してくる友好的な娘は大好きな母。

でも、娘が過去のことを責めてきたり、自分にとって都合の悪いことを言ってくる娘のことは嫌い。

だから無視する、つめたくあしらう。

 

夫の母は違う。

どんなにBADモードでどんなに塩対応な息子のことも、変わらずに愛で包み込んでる。

息子がどんなに失礼な発言を母親にしても、それを許してる。

どんなにBADモードでも、息子への愛はまったく変わらない。

いつだって一定、安定、息子への愛は不動で、大きさも変化しない。

 

私の母は、変わる。

自分にとって心地のよくない状態の娘のことは、嫌いなのだ。

 

夫は、「どんなあなたもだいすきよ」と育てられている

私は、「私の意に沿うあなたに限ってはだいすきよ」と育てられている

私の、”自分の存在そのままを愛せない”のはここから来ていたのか。

 

お世話することと、愛することは違う。

 

お世話することは、おむつを替えたり、食事を作ったり、住まいを整えたり、学費を出したりすること。

愛するとは、喜怒哀楽に寄り添うこと。

相手の感情を大切に扱うこと。

 

そういう意味では、私、父はもちろん母にも愛されたこと無いわ。

人生でほぼ一度も、親に「喜怒哀楽に寄り添ってもらったこと」が無い。

親に「私の感情を大切に扱ってもらったこと」が無い。

 

つまり、私の潜在意識は、「親にあいされたことが無い」と感じていたのか・・・

だからこんなに、異常なまでに、自己肯定感が低かったのか・・・・

 

今まで、40年間、(父のことははなからあきらめていたけど)母に「私の喜怒哀楽に寄り添って!!!!」と渇望しつづけてきた。

そしてそれが叶うことはほぼ一度もなかった。

 

でも、今回この「私の母は私の喜怒哀楽に寄り添うことがどうしてもできない」ということが言語化できたことがすごく良かった。

今まで漠然と母に渇望しては失望を何万回と繰り返してきた「喜怒哀楽に寄り添ってほしい」という希望。

 

さすがに何万回も失望すれば、しつこい私でも気がつく。

母は私の喜怒哀楽に寄り添うことができない、不可能であると。

 

言語化できたら、それをもう望むことをあきらめられる。

母は私の喜怒哀楽(とくに怒と哀には)には寄り添えない。

母は私の感情を大切に扱うことができない。

母は自分にとって心地よくない状態の娘のことは愛せない。

 

これで、今後の人生では、これらのことをあきらめて、母に望むことはもうやめられるだろう!

 

さすがに40年間百発百中で失望してきたことなので、言語化できた今、もうあきらめられそう。

 

これからは、もう父母に不可能なことを求めることからは卒業し、やっと自分の人生を歩き始められそう(毎回同じようなこと言ってるけど、だんだんその感じが強まってきてる)

 

母も、どうしても不可能なことを40年間娘に求められ続けて、大変だっただろうなと同情するわ(汗)

 

今、かなり爽やかな気持ちです。

今後は自分を頼りに生きる。

私のこの輝く小さな貴重なかけがえのない命を、私が大事に扱って生きる。

誰が大事にしてくれなくても、私が大事にするんだから、それでいい。

自己完結の、価値ある生命。

父母を頼らなくても、頼れなくても、私の命には価値がある。

なんの付加価値もつけなくても、価値がある。

 

そして、愛するとは「相手の喜怒哀楽に寄り添うこと」。

相手の怒も哀も、肯定し、認め、大切にすること。

どんなBADモードのときも、そっとそばにいて、けっして見放さないこと。

相手の感情を大切に扱うこと、相手の感情を優しく抱きしめること。

 

これを、息子や、大切な人たちにしていきたい。

なによりも自分にしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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