もうほんとに長年苦しみ続けてきた毒親関連のことについて、自分なりにさらに消化&昇華が進んだので、ちょちょっと記録しておく。
なが~~~~い時間をかけて、螺旋階段を登るように、踊り場も何度もありつつも、少しずつ確実に楽になってきた。
まだまだ苦しさの残骸はあるが。
(やはり書き出すと整理が進む)
消化がさらに進んだのはYoutubeで”テレホン人生相談”を聞きまくったから。
マドモアゼル愛先生が解答者の回ばかり聴いた。
<毒親について自分の気持ちを消化していく方法とその流れ>
①物理的に離れて、心理的親56しを終えること(心のへその緒を断ち切る)
・自分のエネルギーを奪う存在とは関係を断つと自分に宣言する
・他者の人生を背負ってはいけないのだと心底知ること
・人生が苦しい人は、親56しを終えられていない人
②自分が「被害者」だと思っているうちは自分自身を救えないことを思い知ること
・毒親がどうのと言ったところで、やはり責任の(大きな)一端は自分の未熟さにあった
・結局、人生の場面場面で選択をし、自分の人生をつくってきたのは自分であり、こんにちの自分は自分の責任である
③自分の親は人を愛せない人であったことを認める。
世の中には「人を愛せない人」がたくさんいる。
でも、じゃあ、親は全く私を愛さなかったのかというとそんなことは無い。
未熟ながらも、いくぶんかは(未熟な)愛を注いでくれた。
そしてそれは私が今息子にしていることと全く同じ。
不完全な親が不完全な愛を未熟ながらも注ぐ、今私が息子にしていることだ。
そこらへんを落とし所にしなくちゃ。(by マドモアゼル愛さん)
④他人に”愛して愛して”って要求している人生、そういう人生って、実はつまらないわよね(笑)
人生って、そんなつまらないもんじゃないのよ
byマドモアゼル愛さん
★★★★★
私の母は、超ACの父との結婚生活において、父の母親役をしていた。
そのため、自分のHPもMPも父に使っていたため、子どもに注ぐ量が(子どもからすると)じゅうぶんでは無かった。
カサンドラ症候群なのかもしれないし、もともと母にもAC的要素があるのかもしれない。
とりあえず、今の私の気持ちは
●未熟な母が彼女なりに精一杯子育てをした(私もそれを息子に今している)
●私の人生の責任は私にある(私が未熟だから病んだ。私が弱かったから)
●他者に愛と承認と理解を求める人生、そんな人生はつまらない人生である(本当は人生はもっと面白い。自分ひとりでいいと決めれば)
●何歳からでも自分の人生は始められるし、”これから”を前向きに生きることができる
●いずれ(誰しもに)訪れる老病死を受け入れれば、それまでに何を自分の人生に足していけるか、一瞬一瞬の尊さを味わうことができる
マドモアゼル愛先生著の『自分の素晴らしさに気づいていますか』という本を今読んでいる。
そこに「たとえあと数時間の命だったとしても、今からすることのできる一つひとつの呼吸をしっかり感じることで、前向きに生きることはできる」「数時間の命の人でさえ、今から人生を謳歌することはできる」と書いてあった。
毒親問題にからめとられて自分の人生の大半を”生きていなかった”私みたいな人でも、いくらでも今から生きることはできるのだと思った。
自分の人生を、自己責任で、今から、生きよう。
(また螺旋階段の踊り場はいくらでもくると思う。それでもいい。)