「叱る」ということの是非についてよく考える。
「叱る」ことが必要ないのはなぜか。
モンテッソーリあきえさんのVoicyを聴いて、またひとつ、そこに納得がいった。
乳幼児期は、まわりで起こる全てのことを吸収してゆく
だからこそ、大人は、「相手が言う事を聞いてくれないとき、パワーでねじ伏せるのではなく、根気強く誠実にリスペクトをもって”普通に伝える”」という姿勢を見せていきたい
こどもが将来、なにか自分の意にそぐわないことが起きたとき、相手をパワーでねじ伏せる人間にしたくなければ。
パワーでねじ伏せるのではなく、普通に対話する、誠意とリスペクトをもって。
それって、人間関係すべてに言えることだし、それが究極の戦争を起こさない方法だと思う
ここでふと、義母と自分の関係を思った。
自分がいっぱいいっぱいになって(寝不足や疲れなど)、義母にヘルプ要請をしたいとき、私は感情的なラインを早朝に送ったりしていた。
「夫が友達とキャンプに行くので・・・もういっぱいいっぱいで・・・睡眠を削って私は家事をしていて辛いです。少し息子を見ていてもらえますか(泣)」みたいな。
それとか、義母に育児アドバイスをされたときにキレてしまったり。
「もうやっています!それに分かっています!言わないでください!(泣)」みたいに。
息子の前でヒステリックに義母にキレてしまったことが2回ほどある。
(こどもの前でヒステリックになるの、めちゃめちゃ良くない)
義母に甘えて、他人であることを忘れて、境界線を越えて、感情をぶつけてしまったなぁ~~
キャッチボールじゃなくて、ドッヂボール
それって対話じゃなくてパワーでねじ伏せてるよなぁ
相手に罪悪感を持たせるのって、相手からエネルギーを奪うことでもあるし・・・
とにかく私は、キレたり、パワーでねじ伏せたり、悲劇のヒロインぶって相手に罪悪感を抱かせたり、そういうことをしないで、言いたいことがあるときは「誠実に、リスペクトをもって、根気強く、普通に伝える」という練習を重ねないとだな
幼い息子は、母親である私の言動をコピーしてゆく
誠実に、根気強く、リスペクトをもって、普通に自分の意思や気持ちを伝える、そんな私の姿を見せていこう
息子とも、義母とも、誰とでも、上下関係などない、皆リスペクトすべき他人。
話がよくわからなくなったけど、とにかく、上下関係などないし、上から下にパワーをぶつけたりねじ伏せたりするのは良くないに決まっている、ということ
誰とだって、普通に対話したらいいってこと
だから、「叱る」は必要ない