昨日お師匠様に教えてもらっためちゃめちゃ大事な話。
私はお師匠さまに質問をした。
「幼児期から空手とか武道を習わせることで”いじめられにくい子”に育てることについて、どう思いますか?」
ひろゆきは、自身の子育て指南書で「俺が子育てするなら、格闘技を習わせて、いじめられにくい子に育てるね」と語っていた。
他の子育て本では、「いじめられにくいように前もって格闘技を習わせるのは、先回りである。ある意味親の過干渉で、余計な先回り」とも書かれていた。
さて、お師匠さまはなんと答えたか。
子どもは、学校での友達トラブルやいじめを通して、お互いの心理の動き、心理戦、こう出たら相手はどう来るか、そしてそのトラブルをどう乗り越えるのか・・・など、人間どおしのやりとりの様々なことを学ぶ。
それを「力が強いかどうか」「力が強いからいじめられない」といった単純な肉体的に強い・弱い
だけによって、回避してしまうと、その人間関係や心理戦などについて学んだり乗り越えたりすることなく学童期を過ごしてしまう。
人生は無菌室ではない。
親が用意した「過ごしやすい空間」「トラブルの起こりにくいお利口さんばかりが集まった私立」などで人生の荒波や困難をスルーして過ごしてしまうと、要処要処で学ぶべきことを学べないまま、経験則の浅い人間ができあがる。
皇室育ちのおぼっちゃんに、荒波を乗り越える筋力がついていると思うか?
人生の要処要処で、トラブルや困難に見舞われ、そこから学び、さまざまな心の動きを経験し、酸いも甘いも地面を舐めるくやしさも、みじめさも、あらゆることが、後々にその人を大きく深く豊かにしてくれる「経験」となる。
困ったことが起こらない人生を過ごしてきた人に、厚みを感じるか?
深みやすごみや味わい深さを感じるか?
いろ~んな経験をさせてあげることが大切だ。
お友達とのトラブル、深刻なものは考えものだが、軽いいじめトラブルだって必要な学びだ。
運動、勉強、遊び、対人関係、バイト先での苦労、軽いモラハラやパワハラだって、それを味わって感じる怒りや苦悩、どう対処して乗り越えていくのか、全て、学びになる。
それを子どもから奪うな。
こどもに苦労のない無菌室のような人生を与えるな。
コンプレックスがないこと
すべてのスポーツがある程度そつなくこなせること
やりたいことやほしいものは何でも与えられてしまうこと
親がよかれと思ってする先回り、与えすぎること、そういったものが、こどもから実は、深みや経験則や厚みを奪ってしまう
「振り返ってみれば、あの経験があなたを強くしてくれたよね あなたに幅や深みを与えてくれたよね」
そういう苦労や困難は大切だ。
もちろん、幼少期に自己肯定感をしっかり育んであげることは大前提だが、もうそのあとは、先回りをやめ、こどもを人生の荒波や困難に放り出すこと。
守りすぎ、与えすぎ、困難回避は、挫折に弱い人間を作り出す。
要所要所でそういう「骨折したあと、さらに強くなる」みたいな経験を積んでいかないと、社会に出て初めて挫折してポキっと折れる社会人ができあがる。
こういう話をお師匠さまがしてくれました。
一生心に刻みたいと思いました。