分かってもらおうと躍起になるほど事態は悪化していく

独り言日記

マドモアゼル愛先生の本を買い漁り、読みまくっている昨今。

本当に気づきが多くて深くて、お値段以上すぎる。

 

今日読んだページからの学び。

 

私たちは人から教わったことや言われたことは忘れてしまう。

(人から強制されたことは忘れてしまう。興味の無い分野に関する詰め込み教育もこれかな)

 

だけど自ら気づいて発見したことは決して忘れない。

 

だから、他者に対して「どうして分かってくれないの!!こうしてよ!!」と叫べば叫ぶほど事態は悪化していく。

 

(これは、今でも私が母や夫に対して抱いてしまいがちな欲求)

 

何も言わずに、ただただ日常を一緒に過ごすなかで、長い年月をかけて、実はひそかにもらっていた愛情に少しずつ気がついていったとき、後々深い感謝が芽生えたりすることが”自ら気づいて決して忘れない”ということの例。

 

私はこれを義父と義母にしてもらっているなぁ。

 

何も要求せずに、いつも助けてくれて、見守ってくれて。してもらいっぱなし。

愛をあまり持っていない私ですら、長い年月をかけて義理の両親の愛情に自ら気がついてきている。

 

これを義母に「こんなにしてあげてるのに!!」と叫ばれていたら、興ざめするだろう。

 

母や夫に対して「なぜ分かってくれないの!!!」と叫べば叫ぶほどに、相手に”強制”することになり、それは相手の”自ら気づく”を阻害することとなり、事態は悪化していく。

 

だいたい”自ら気づいてほしい”もなにも、相手には相手の自由意志があり、自由判断があり、私の思いだけが正しいなんてことあるはずもなく。

 

自分を分かってもらおうとして躍起になることは、「私はあなたよりも自分のほうが大切です」と言葉にしていることと同じ、というマドモアゼル愛先生の言葉が胸に響いた。

 

ひとりの人間対人間として考えたとき、母に「あなたはあなたの間違った考えを改めて、私の言う正しい理論を理解し、私に従いなさい(私を正しく愛しなさい)!!」と要求することは、モラハラだなぁと、自分の思考を反省しました。

 

母は母自身の自由な考えを持つ権利がある。

母もまたまぎれもなく、”尊重すべき他人”なんだよな。

他人(家族含む)とはうまく距離感調節をしつつ、尊重して、やりとりしていこう。

それにつきるな。

 

何があっても「それって私自身が距離感コントロールできてないだけでしょ」って話に終始するな。

 

 

 

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