こないだpodcastのバイリンガルニュースを聴いていたら、まみちゃんとマイケルが「アスホール」についてトークしてた。
アスホールとは、英語で「嫌なやつ」「馬鹿野郎」とかそういう意味。
日本語では肛門w
で、まみちゃんが、”自分がアスホールだなって思った瞬間”について話してた。
友達家族が遊びに来たときに、その家族の娘ちゃんに、帰り際にまみちゃんの息子3歳がおもちゃを1つプレゼントしようとしたんだって。
そしたら友達家族の娘ちゃんは2つ(勝手に選んで)持って帰ってしまったらしい。
そのときにまみちゃんは「えっ、うちの息子は1つだけあげようとしたんだけど。2つじゃないよ。1つは返して」って言えなかったんだって。
予想外に2つも持って帰られてしまった息子はその後号泣。
まみちゃんは「私は、友人家族にアスホールって思われたくなくて、息子に対してアスホールになる選択をしてしまった」と落ち込んだらしい。
自分にとって一番大切な人のために、他人にはアスホールだと思われてもいい、と決断できること。
これってとても勇気がいる決断。
でも、自分は誰にとってのアスホールになってるのか考えたい。
一番大切な自分のこどものために、世間や他者からはアスホールだと思われてもいい。
そう思うのか、
世間にアスホールだと思われたくないがために、一番大事な人の心を大切にできない行動をとるのか。
反射的に「いやいやうちの子なんて全然ですよ」と身内下げ発言をしてしまうのもそう。
大して大事でもない他人に「謙虚じゃないやつ」というアスホール認定をされたくがないために、大切な自分の息子をけなして、傷つけてしまう。
もう、大事な人以外からアスホール認定されてもいい。
大事な人にとってだけは、アスホール野郎になりたくない。
息子、夫、そして自分自身、数少ない親友たち、そういう人たちにだけは、アスホール野郎になりたくない。
その言動は、誰にアスホール認定されたくなくて、取ろうとしてるの?
と自分に常に疑問を呈したい。