私の家系はちょっと複雑で、いろいろ理由があって片方の祖母と13年ほど連絡をとっていませんでした。
恨んでいる気持ち、嫌いだという気持ち、そういう気持ちがずっとあって、頑なに、ずっと連絡をとっていませんでした。
でも、ときは流れ、祖母も90歳を過ぎ、私の心の傷も少しずつ少しずつ癒えていき、そんなとき大愚和尚のこの動画を見ました。
そして、「私、おばあちゃんに連絡をとらないまま、おばあちゃんと二度と会えなくなったら、話せなくなったら、なんとなく、後悔する気がするなぁ・・・」と思いました。
コロナ渦になってから、高齢の祖母のことが気にかかるようになっていました。
親戚づてに、「直近の記憶が少し思い出しにくくなったらしい」という噂も聞き、認知症がすこーしずつ始まったようだなぁと思いました。
でも、葛藤が大きくて、「嫌い、いや、もうそんなに嫌いじゃない、許したい、おばあちゃんにだっていろんな事情があったんだ、このままお別れだなんてお互いに悲しいな・・・」という葛藤をしたまま、コロナ渦も進み・・・
つい先日、えいっと思い立って、お手紙を書いたんです。
電話を直接する勇気はなかったし、まだ葛藤はあった。
でも文字でなら、優しい言葉や感謝や謝罪を伝えられると思ったから。
そしたら今日おばあちゃんから電話がかかってきて、13年ぶりにおばあちゃんの声を聞きました。
電話を出る瞬間すごく勇気がいって、ずっと恩知らずな態度をとってたことを怒られるかな、責められるかなという怖さもあったんだけど、おばあちゃんの懐かしい優しいあったかい声が耳に飛び込んできた瞬間、ば~っと涙が出て、10年以上の葛藤が洗い流された気がした。
一瞬で、積年のわだかまりをかなりの勢いでふっとばす血縁の力、あなどれなし。
たったの数分間の、ちょっとだけぎこちない会話だったけど、おばあちゃんはとても優しくて、全然認知症なんて感じないほどしっかりしていて、あったかかった。
長いこと連絡していなかったことを謝罪し、声を聞けてとても嬉しいことを泣きながら話すと、おばあちゃんもとてもうれしそうだった。
そして、昔一緒に過ごした時間は普通の祖母&孫からしたらとても少ないけれど、幼いころに、私の手をぎゅっとにぎってお話をしてくれたおばあちゃんのあたたかい手を思い出した。
人にはいろんな事情があること
そのときどきでいろんな止むに止まれる事情があったであろうこと
人は完璧ではなくときにはいろんなことが起こる
でも自分のことも他人のこともいつか許せる分かり合えるときが来ること
どんな親だっておじいちゃんおばあちゃんだって、さまざまな事情があり、でもきっと愛もあったこと(愛してくれていたってこと)
いろんなことをなんとなくわかった今日でした~~~~~
10代や20代のころは、子どもの視点からでしか物事を見られなくて、ずっとおばあちゃんを恨んできた。
でも、アラフォーになった今、その頃は持ち得なかった視点で、おばあちゃんのことを見ることができた。
そうしたら「誰にだっていろんなやむをえない事情があるよな、親だって祖父母だって、ひとりの不完全な人間だし。でも、そこにはそれでも愛があった気がする」って思えた。
自分のかすかな気持ち(このままじゃきっと後悔する、私はきっとおばあちゃんに「私はおばあちゃんのこと想ってるよ」って伝えたいって思ってる気がする、ってこと)に気がついて、素直に実行に移せて本当に良かった
直接会いに行きたいけど、それまたすっごく勇気がいるな~~~~
コロナ渦だし・・・(これは言い訳)
後悔しないように、勇気を出して、素直に、生きていかなきゃな、と改めて思った夜でした。
勇気を出して会いに行くか・・・・
藤井風の『帰ろう』と『旅路』を聴きながら、涙を流しながら洗濯物を干してる真夜中なう。
積年の心のつかえがまた少し(いやけっこう大きめに)洗い流された本日でした。
おばあちゃんありがとう。。。